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私たち仲宗根糀家の自己紹介

更新日:6月28日

皆様、初めまして。

仲宗根糀家のスタッフのやまちゃんです。

今回は私たち仲宗根糀家について自己紹介をさせていただきたいと思います。

 

改めまして、私たちは仲宗根糀家(なかそねこうじや)と申します。

仲宗根という名前から連想される通り、私たちは沖縄で営業しております。

沖縄の那覇市内の国場(こくば)という地域で、

工場を構え糀を日々製造しています。

私たちが扱っている麹の種類黄麹(きこうじ)と呼ばれるもので、

黄麹は日本食には欠かせない「酒」「醤油」「みりん」「味噌」などの

原料になっています。

 

麹の種類はいくつか他にもあり、

焼酎などの原料になる白麹などが代表的です。

 

では、なぜ沖縄で私たちが糀を作っているのか。

それは創業者である、仲宗根悦子自身の原体験からきています。

仲宗根は現在の仲宗根糀家を開業する前は、

地元で広島風お好み焼き屋をやっていました。

 

夜も遅く、特に食事は偏ったものが多くなっていました。

そんなある時、突然立てなくなり救急車で運ばれてしまいます。

心臓のバイパス手術を受けることとなりました。

この時、仲宗根は40代後半。

 

その数年後にも、立てなくなるほど頭痛で入院しました。

検査の結果、軽い脳梗塞だったことが分かりました。

 

この時、初めて本心から健康でいることの大切さを実感します。

病んで初めて健康の大切さに気づきました

 

これまで偏った食生活を続けてきたことが、積もり積もって

目には見えないところで体を蝕んでいたことを知りました。

 

”食べるもので身体はできている”

医食同源の大切さが身に沁みました。

 

ここからこれまでの生活習慣を改め、

特に食生活を見直すようになりました。

 

最初は知識もなかったので、

とにかく身体によいとされるものを試してみました。

でも、今ひとつ体調が改善される実感を持てずにいました。

 

そんな時に出会ったのがだったんです。

 

糀が持つ酵素の力、発酵の力を知り、

毎日の食卓に取り入れるようになり、糀のある暮らしが心地よく感じられるようになりました。

「糀ってすごい!」

糀に出会えたことで糀のある暮らしがすっかり身近になり、

いつしか糀が自分の日常に切っても切り離せない存在となっていました。

 

その当時は沖縄で黄麹を製造している会社がどこにもありませんでした。

そのため、県外の糀を毎回取り寄せるしかなかったわけです。

 

こんなに素晴らしく、自分の暮らしに欠かせなくなった糀が

沖縄にないのなら自分で作ろう!

自分が糀で救われたように、多くの人に糀の魅力を知ってもらい、

多くの人を今度は自分が糀でサポートしたい。

そんな想いで、全く麹製造の知識もない状態から、

想いだけで糀作りをスタートさせます。

 

最初は右も左もわからなかったです。

 

図書館に行っては、糀関係の書籍を読み漁りました。

県外の糀製造会社にも訪問し糀作りの方法を教えてもらいました。

 

そしてそこから自分なりの製造方法を模索していきました。

 

最初は設備も何もなかったので、

限られた設備のなかで、一つひとつ手をかけながら糀を作っていました。

 

温度や湿度を管理するために、毎日夜中まで釜に張り付いていた

この頃は本当に大変でした。

 

この時、仲宗根は60歳。

 

それでも、少しづつ糀の良さを知り糀を買ってくれる

地元のお客様を想い糀を作り続けてきました。

 

この創業の想いは今でもずっと変わることはありません。

「健康は家庭から」

沖縄生まれの糀を、毎日の食卓に届けたい

 

自分が糀に救われたように、

糀のある食卓を、沢山の人に届けたい。

 

西洋の食文化が浸透し、日々のストレス社会の中で

私たちの身体と心は消耗していっています。

 

そんな日々頑張る私たちを、

内側から労ってあげることが大切です。

 

身体がSOSを出す時は、何かしらの問題が顕在化する時です。

そうなる前に、日々の食卓から少しづつ、私にとって、そして愛する家族にとって

毎日の食事を少しずつ見直してみてほしいと思います。

 

そして、毎日の食事を大切にすることで

糀のある食卓を楽しみながら、自分らしい毎日を糀とともに

歩んでほしい、そんな想いで私たちは沖縄から糀を作り続けています。

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